江戸時代に来日したドイツ人の一人に、徳川綱吉とも会見した博物学者エンゲルベルト・ケンペルがいる。それから何年経ったのだろう、日本は今でも友好国だ。また訪ねたい国の一つでもある。

ドイツと言う国

ドイツ北から南から

デュセルドルフ

Altbierアルトビールは18~19世紀になってから造られた上面発酵のビールデュッセルドルフに初めて行ったのはもうかれこれ40年前だ。なぜデュッセルドルフかと言うと「アルトビール」が飲みたかっただけなのだが、ちょっと単純な理由かもしれないな。ウィーンやチューリッヒ、パリなどを見ていたからデュッセルドルフに来た時はビルばかりが目立ったのでアメリカへ来た感じもした。でも、横町を曲がれば昔ながらの町並みがそろっており、これぞ地元民だけしか入らないビアホールを見つけて入ったが、中は飲んベイばかりでスタンドしかない。皆立ち飲みでぐいぐいやっている、私もつまみは入らないのでおかわりばかりして地元民にとけ込んでいった思い出が蘇る。

ブレーメン

Die Bremer Stadtmusikantenブレーメンの音楽隊ブレーメンの音楽隊(Die Bremer Stadtmusikanten)この像が見たくてわざわざ出かけていった。街自体はそんなには大きくはないが活気のある街だと覚えている。観光客が多いのだろう、この像の前ではカメラを構えるものも少なくない、また土産物屋も多くそこにも観光客が多く入っている。「ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像」としてユネスコ世界遺産に登録されている。ここはドイツ・メルヘン街道の終点である。その隣が聖母教会である。
ブレーメンの音楽隊はグリム童話の物語の一つであり、子供時代によく読み聴かされたものだ。この歳になるとブレーメンの音楽隊自体があやふやな記憶となってしまいロバの背中に犬、猫、鶏が乗ってお化けと思わせると記憶していたのだが今ではどうもあやふやになっている、もう一度読み直してみよう。

ロマンチック街道

Romantische Strasseロマンチック街道この写真にも書かれているようにロマンチック街道が日本語で書かれているのはいかに日本人が多いのかがわかる。日本の旅行会社でもこのルートは押さえておかなければならないルートでお客もよく知っているルートだ。かくいう私もこのルートに旅しようとやってきた一人である。このルートはバスや列車でも行けるが、かなりの時間を割いてしまいそうなのでレンターカーの旅に決め込んだ。ルートは、基本的にヴュルツブルクからレッティンゲン、クレクリンゲン 、ローテンブルク 、ディンケルスビュール 、ネルトリンゲン、フュッセン と街道をまっすぐと下ってきた。やはり一番の思い出はローテンブルクとロマンティック街道の終着点フュッセンが一番よかったと記憶している。
元々ロマンチック街道と言う名前は「ローマへの巡礼の道」の意味で、日本人が思っているロマンチックやロマンスとは違う意味である。もちろんこの名前もローマと言う意味から来た言葉なのだが・・・・・

ケルン大聖堂

Kölner Domケルン大聖堂ケルンにはこの大聖堂が見たくてきたのだが実際に見てみるとこのような大きい教会を昔の人がどういう思いでこのような大教会を作ったかが不思議なくらいだ。この大聖堂は前聖堂が1248年に火災で焼失したため新しく建て直されたものだが1880年に完成している。
またこの地はオーデコロンの発祥の地としても有名だ。フランス語でEau de Cologneと書くがこれは
日本語に訳すと「ケルンの水」と言う意味で、1709年にヨハン・マリア・ファリナによって世界で最初に製造販売された香水としてと伝えられている、香水はフランスでなくドイツのケルンが最初だと覚えて欲しい。

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